やさしいこころと経済学 第12章 日本人の精神性(4)
適度な距離感が「和」保つ 慶応義塾大学教授 坂本達哉
2015/6/22 3:30 日経朝刊
行為者に対する「共感」と、自分自身の行動とのバランスをとることが適切な道徳判断につながり、そういう行動をする人を「公平な観察者」といいます。
「公平な観察者」はキリスト教の「神」の言い換えなどといわれてきましたが、最初に「公平な観察者」と唱えたアダム・スミスは「胸中の人」と言い換えて、その超然とした性格を強調しました。
スミスによれば「公平な観察者」の本質は「良心」の働きです。人々が毎日の生活の中で、行為者と公平な観察者の立場を交換しながらコミュニケーションを積み重ねた結果、「良心」が生まれると考えたのです。日本人が西欧的な神の思想についていけなかったとしても、人類普遍の「良心」であれば、道徳の基礎として受け入れることに大きな抵抗はないでしょう。
適度な距離感を保ちながら人に「共感」する場合、対象となるのは特定の年齢、職業、人種、宗教、文化などを背負った人間です。その人との関係や共通性が濃密になればなるほど、「共感」も容易かつ強力に作用します。一方、自分と異質で関係が浅いままの人との間には「共感」は容易には成立しません。「共感」する観察者の公平性が道徳の基礎になります。
日本人はかねて、他人の立場を思いやる「共感」を何よりも大切にしてきました。その背景には、「論語」の思想に端を発する聖徳太子の「和をもって貴しとなす」の精神があります。他方、この精神が行き過ぎると「滅私奉公」や「出るくいは打たれる」などの悪弊が生まれます。英ロンドン大学教授だった森嶋通夫氏は、英国人は適度な距離感によって「和」を保つが、日本人は個性を軽視する「一心同体」によって「和」を保つと指摘しました。
観察者の「共感」が、行為者との適度な距離感を保つことによる「公平性」を強調する道徳論は、日本人の間にときおり顔を出す集団主義的な傾向に対して、有効な解毒剤となるかもしれません。
適度な距離感が「和」保つ 慶応義塾大学教授 坂本達哉
2015/6/22 3:30 日経朝刊
行為者に対する「共感」と、自分自身の行動とのバランスをとることが適切な道徳判断につながり、そういう行動をする人を「公平な観察者」といいます。
「公平な観察者」はキリスト教の「神」の言い換えなどといわれてきましたが、最初に「公平な観察者」と唱えたアダム・スミスは「胸中の人」と言い換えて、その超然とした性格を強調しました。
スミスによれば「公平な観察者」の本質は「良心」の働きです。人々が毎日の生活の中で、行為者と公平な観察者の立場を交換しながらコミュニケーションを積み重ねた結果、「良心」が生まれると考えたのです。日本人が西欧的な神の思想についていけなかったとしても、人類普遍の「良心」であれば、道徳の基礎として受け入れることに大きな抵抗はないでしょう。
適度な距離感を保ちながら人に「共感」する場合、対象となるのは特定の年齢、職業、人種、宗教、文化などを背負った人間です。その人との関係や共通性が濃密になればなるほど、「共感」も容易かつ強力に作用します。一方、自分と異質で関係が浅いままの人との間には「共感」は容易には成立しません。「共感」する観察者の公平性が道徳の基礎になります。
日本人はかねて、他人の立場を思いやる「共感」を何よりも大切にしてきました。その背景には、「論語」の思想に端を発する聖徳太子の「和をもって貴しとなす」の精神があります。他方、この精神が行き過ぎると「滅私奉公」や「出るくいは打たれる」などの悪弊が生まれます。英ロンドン大学教授だった森嶋通夫氏は、英国人は適度な距離感によって「和」を保つが、日本人は個性を軽視する「一心同体」によって「和」を保つと指摘しました。
観察者の「共感」が、行為者との適度な距離感を保つことによる「公平性」を強調する道徳論は、日本人の間にときおり顔を出す集団主義的な傾向に対して、有効な解毒剤となるかもしれません。